【誕生秘話】
この団体は代表理事である蓑田由貴の小学校2年生に感じた疑問点から活動が始まっています。幼少の頃からおじいちゃんっ子であったおじいちゃんが10年以上病院へ入院し、看護師がケアをする姿を見て(いわえる「社会的入院」といわれるものです。)
「看護はもっと身近にあるものではないのか」「おじいちゃんを幸せにするためには何ができるのか」
という思いから、ナイチンゲールの漫画を見て看護師の道を進んでいます。昔は生命の誕生と最期は在宅で行うことが当たり前になった時代がありました。
しかし現代では最期を迎えるのは医療機関であることが多く、命の重みを感じる機会が少なくなっているように感じます。
その中で、看護師の道を進むのですが、いくつも困難な壁があり、何度も諦める方がいいのかと考えることもありました。
一度看護学校を辞める決意をしたときも、友人や教師が「あなたなら出来るから」と私を信じてくれたことで、乗り越えることができたと思っています。
看護学校での寮生活では仲間同士ぶつかることも多かったですが、その経験が1人の人と向き合い方としての基礎を学ぶ経験であったと思います。
それから病院への勤務は約8年間経験をします。
周りは素敵な医療チームに恵まれ、勉強する日々でした。私はおじいちゃんと関わる時に思った「看護はもっと身近にあるのでは」という気持ちから「訪問看護」で勤務するという目標をあげて病院での勤務を行っていきました。
病院での勤務をする中で、入退院を繰り返す方や病気が悪化してしまう事例を通して「予防看護」の必要性を感じていました。
病院勤務後は訪問看護へ転職するのですが、「もっと皆さんの身近で活動がしたい」と思い、予防看護として活動ができないのかと研修等の学びの中で、在宅医療の医師を紹介して頂きました。
全国的にそのような活動をしている団体はないかと調べた時に「コミュニティナース」という言葉に出会います。そのコミュニティナース活動を在宅医療の医師とともに経験をすることで、より身近に健康に対して相談ができる場所、いわえる「暮らしの保健室」「まちの保健室」の存在意義を感じます。
訪問看護師としての経験は1年、クリニックや市役所にも勤務する中でコミュニティナース活動が形にできないかと考えていた時に、私の故郷熊本県八代市で令和2年7月に熊本南部豪雨災害がおきました。ニーズ調査をする中でコミュニティナース活動の必要性を感じ、令和2年8月に任意団体「やっちろ保健室」運営協議会を立ち上げました。
少子高齢化、人口減少、過疎化などの医療機関や行政機関だけでは補えない部分を民間団体として活動をする中で、一緒に活動を支えてくれるチーム構成ができ令和4年7月23日に一般社団法人看護のココロ設立総会を迎えることができました。(詳しくは設立趣意書をご参照ください。)